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将来の職業(文章のみ)

おやじのひとり言

少し時間ができたので、久々に親父のひとり言を書くことにしました。

今日のテーマは将来の夢、「将来何になりたいか」をテーマに書いてみます。


自分は小さな頃から運動神経が、そこそこ良くスポーツが全般的に得意でしたので、子供の頃夢は野球選手やサッカー選手になりたい、柔道はカッコ悪いので絶対やだ!と言っていました。


小学4年の時に実家の家を建て替える事になり、初めて自分の部屋が持てることになったのです。
あまりに嬉しかったので、新しい部屋の配置図を書く事にしました。まだ家は建設中で図面しかありません。その図面を借りて、自分の部屋の間取り図を書きました。何故かその借りた図面はずっーと自分の物になって、暇があれば見るようになってました。

一番のお気に入りが立面図です。

完成した家を横から見た図。


それから無事家が完成し、自分の部屋をもらいそれで終わりましたが、中2の頃に進路相談があって、「高校はどこに行きたいんだ?将来何になりたいんだ?」と聞かれ「建築士になりたい!」設計の学校に行きたいと言ったのですが、地元の工業高校には建築科が無く、自分の学力ではとても行ける建築の学校はありませんでした。そのうちバイクに興味が出てきて、高校へ行く事はありませんでした。
結局、大工の弟子になり、16歳で東京へ出てきて型枠大工を始め、今に至ります。
10代の頃の親方が、元木造大工で二級建築士を持っていて勧めてくれてました。国家資格は将来役に立つので持ってた方がいいぞ!と


受験資格が経験7年でしたので、22歳から受けれます。

やがて22歳になり、

申し込みをして学校に通い始めたのですが、中学も遊び呆けて全然勉強してなかったので、全く分かりません。

特に建築は数学が必要不可欠です。
数学というより、算数が分かりません。
建築は割り算を分数で書きます。その分数や三角関数などが全くです。書店へ行き小学高学年と中学の(今でもあります)参考書を書い、まず最初に算数を勉強しました。

その学校ではグループ学習と言ってグループで勉強する時間があります。ほとんどの人がちゃんと勉強してきた人達なので、覚えも早いしテストの点も成績も優秀でした。初めのうちは


自分は全く何にも分からないので、1から徹底して人に聞き、学校で居残り自習をして、毎日確か家で12時くらいまで(FM東京でジェットストリームを聴きながら)勉強してました。でもあれを聴くと眠くなるんです。

試験前頃になると、勉強の成果もあって自分が優等生になっていて、皆んなに教える立場へと逆転してました。
学科、製図ともストレートで合格し、またみんなに認めてもらい、たくさんの友達が出来たのを覚えています。
22.3歳頃ですね!
さすがに一級のときはそんな簡単ではありませんでしたが、また今度機会があればお話しします。
前置きが長くなりましたが、本題にはいります。

二級建築士から一級建築士を受験できるまでの期間が、4年間あります。

その間に結婚しようと考えていました。

その時の元請け社長が、ものすごく面倒見が良くて大変可愛がってもらってました。

その社長が「職人の嫁は絶対に看護婦がいいぞ!俺が世話するから」と集金に行く度にいっていました。

何故かというと、職人の給料は不安定だし、子供が出来たらお金もかかる、一度辞めてもすぐ働けるから結婚相手は絶対に看護婦さんがいいぞ!と口を酸っぱくして言ってました。

それからも会う度、どこの病院に何歳の綺麗な人がいるからとか、今度お見合い段取りするとか、写真持ってきたとか、本気で探してくれてました。が、これは早いうちに何とかしないと、お見合いさせられて、看護婦さんと結婚させられてしまうと考えた自分は、当時付き合っていた彼女、お母さんを挨拶に連れて行きました。

「今度結婚する事にしました」と

後から聞いたのですが、社長は自分の嫁探しを生き甲斐にしてて、社長の奥さんといつもその話をしてたそうです。それから急に社長の元気がなくなりました。

その後、半年くらい経ってから結婚式を挙げましたが、その直後社長は亡くなりました。式にも来ていません。

それから20数年経ちますが、つい先日お母さんの月命日の日に娘とお墓参りに2人で行く途中、娘が

「お父さん!将来看護師になりたい!」と言ってきたのです。

自分はビックリして喜びのあまり

「お金はいくらでも出すから頑張れ!」と言ってしまいました。

実は娘には小さな頃から看護師さんになって欲しくドラマを見てる時や病院に行った時など、勧めていたのですが、本人は大変そうだから絶対にヤダ!とずっと言っていました。

決めてはお母さんの訪問看護に来て頂いてた看護師さんとの話見たいです。確かシングルで子供2人育てたと言っておられました。

いつも2人で仲良く話してたので影響を受けたのだと思います。

『ナイス!おばちゃん!」 ありがとう!

最後まで読んで頂きありがとうございました。

子供の頃の夢!ありましたか? 

以上、オヤジの一人言でした。

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